対談

2010.10.04

リンズ・ダンス・プラネット主宰
高田 裕之 稟子さんご夫妻

継続は人生の道を拓きます。夫婦で信頼し、協力し合い、夢を追いかけ、実現させます。


高田稟子さん プロフィール

生年月日:1967年10月21日
出身地:岩手県盛岡市

3歳よりバレエを始め、1982年に特待生としてスターダンサーズバレエ団に入団。
ロシア留学から帰国後の1986年には、東京シティバレエ団に移籍。
1992年より日本バレエ協会の公演に参加。1997年には、「全国合同バレエの夕べ/東京地区」にて主役を務める。
2005年に渡米し、ニューヨークにダンス留学。
バレエアーツ、ステップス、ブロードウェイダンスセンターにて自作の振付作品を出品、出演し、好評を博す。
帰国後、「リンズ・ダンス・プラネット」を開設し、後進の育成に努める。
これまでに日本ジュニアバレエ、AMスチューデント、スターダンサーズバレエ団、東京シティバレエ研究所等への合格者を輩出しています。

家では、もっぱらネコと戯れています。

リンズ・ダンス・プラネット~Rynz Dance Planet~  



高田裕之さん プロフィール

生年月日;1958年9月29日
出身地;東京都新宿区

大学卒業以来30年近く、音楽業界に勤務。現在は、法務担当部署に所属しています。
帰宅後と休日は、妻の仕事を手伝っています。教室の発展に向けて、頑張ってサポートしていきます。


<バレエ教室名>
 リンズ・ダンス・プラネット~Rynz Dance Planet~ Rynz Dance Planet

リンズ・ダンス・プラネット~Rynz Dance Planet~  

第1回
バレエとともに歩んだ半生
厳しい世界に身をおいて


対談日  2010年10月4日(月)
2010.10.04

(敬称は省略いたします)
潮田
今回は、ご夫婦で同じ夢を追いかけておられる高田ご夫妻に登場していただきます。まずは、長年バレエに携わっていらっしゃいました奥様、稟子さんにお話を伺います。バレエはいつから始められたのですか?
稟子
3歳前頃からです。たまたま通うことになる幼稚園の隣にバレエ教室がありました。私の親は、女の子は勉強はそんなにできなくても、かわいい方がいいと思っていたようで、そういった親の意向で、私はその教室に通い始めました。父の仕事は転勤が多く、その後、幾度か住まいは変わりましが、バレエは続けました。
潮田
「バレエが好き」と思ったのはいつ頃ですか?
稟子
小学校高学年くらいだったと思います。それは、バレエが上手になったと自覚したからです。
それまで10年くらいずっとバレエを習い続けてきて、その継続がそう思わせたのでしょう。
潮田
それでは、プロになろうと思ったのはいつ頃ですか?
稟子
それもやはり小学校高学年頃でした。そして、中学の頃、父の仕事の関係で、それまで暮らしていた福島から岩手県の遠野という所へ引っ越すことになりました。
福島ではバレエ教室に通っていたのですが、遠野には教室が無く、「バレエは続けられないかも」と思っていたところ、引っ越しをした年に東京のバレエ団から先生が遠野に教えに来るようになりました。同時に、その先生についてバレエを習い、中学卒業後は東京の高校に通いながらバレエを続け、やがて故郷の遠野に帰ってバレエを教える、というプロジェクトが立ち上がり、私自身は親の転勤で遠野にもどって来られるかどうかはわからなかったのですが、そのメンバーに選んでいただきました。
潮田
それはタイミングがよかったですね。でも、偶然ではなく、きっと教室が無い遠野へ行っても なんとかバレエを続けたい、という強い思いが稟子さんの中にあったと思います。その思いがその幸運を引き寄せたのではないでしょうか。
稟子
そうですね。なんとかバレエを続けたかったので、遠野に教室が無ければ、ある場所まで何時間かかっても電車に乗って通いたいと思っていました。
稟子
その後、東京で高校に通いながらバレエを続けました。バレエ中心の生活で、高校の修学旅行はバレエの公演が重なり参加していません。高校は行きたかったわけではなく、周りから「高校へは行っておいた方がいい」と言われたので通っていただけで、学校を抜け出してレッスンを受けたりもしていました。
高校在学中には、ロシアに留学もしました。ちょうどバレエ団にロシア人の先生が教えに来て、その先生からロシア行きを誘われたのがきっかけです。
ライバルも多く、競争、競争の毎日でした。日々、バレエ団ではキャスティング表が貼り出され、それによって自分の出演する舞台を確認しなければなりませんでした。
潮田
とても厳しい世界ですね。下剋上ですね。ご自分の配役のクラスが上がった時はうれしいと思いますが、下がるとショックを受けますよね。そういった時はどのように対処されていたのですか?
稟子
親に話しましたね。父は「帰って来い」でしたが、母は「もう少しがんばりなさい」と言いました。
気分が落ち込んでも次の日もバレエのレッスンに行くしかないんですね。バレエが生活そのものなので、バレエから離れることはできません。とにかく必死でした。そうやって続けてきましたね。
その後は、2つのバレエ団に属し、フリーも経験し、また、あるスタジオに所属して仕事をしてきました。
潮田
そして、アメリカへ行っていろいろと学ばれるわけですが、それはご結婚されてから、ということですので、結婚生活と合わせてニューヨークでのお話を伺おうと思います。

文・構成 潮田圭子
<告知>
 11/27(土)リンズ・ダンス・プラネット第1回発表会
 場所;新宿区立四谷区民ホール