対談

2010.10.04

リンズ・ダンス・プラネット主宰
高田 裕之 稟子さんご夫妻

継続は人生の道を拓きます。夫婦で信頼し、協力し合い、夢を追いかけ、実現させます。


第2回
コミュニケーションが取り持つ夫婦のきずな

対談日  2010年10月4日(月)
2010.10.04

(敬称は省略いたします)
潮田
これまでのお話をうかがって、稟子さんは芸術のきびしい世界を突き進んで来られた、ということがよくわかったのですが、そういった場合は他のことを犠牲にする、という傾向があると感じます。その中に結婚も入ると思うのですが、稟子さんは結婚願望はあったのでしょうか?
稟子
結婚したいとは漠然とですが思っていましたね。
潮田
高田さんはいかがですか?
裕之
私もそう思っていました。
潮田
そのお二人が縁あって出会われて、結婚されたわけですが、新婚早々、奥様はニューヨークに行かれますね。
裕之
彼女と出会った頃は、彼女はとても落ち込んでいて、少しバレエから気持ちが離れているように感じていました。もしも、彼女が元気いっぱいでニューヨークへ行っている時期に出会っていたら結婚など眼中になかったと思いますので、おそらく結婚はしていなかったでしょうね。
稟子
ニューヨークに渡る前の私は、バレエの実力がかなり上がっていましたので、周囲から一目置かれていました。
すると、周りの人たちが自分に持つ印象と自身の感覚にズレが生じて、また、新しい表現を試してみたいと思っても複雑な人間関係が邪魔をしてそれがかなわない、といったジレンマも抱えていました。その苦しみは次第に私から踊ることを遠ざけていきました。
そんな中である時、ジャズダンスを見まして、是非、その本場に行きたいと思い、新婚旅行はニューヨークに決めました。その後、友人と2人で2週間、再度ニューヨークを訪れ、どんどん本場でのレッスンに引き込まれていきました。結局、その後も日本とニューヨークを往復し ながら、ジャズダンス、バレエ、タップ、歌、コンテンポラリーダンスなどさまざまなレッスンを受け続け、その中で、仕事のオファーもいただきました。
潮田
高田さんは、奥様のニューヨーク行きをどう思われていましたか?
裕之
合計すると1年数か月、彼女はニューヨークに行っていましたが、その間、私も何度か週末を使ってニューヨークへ行き、彼女のサポートをしていました。その状況は私たちは当然だったのですが、彼女は周囲から「離婚したの?」と聞かれることもあったようです(笑)
結婚前は芸術家の妻を支えようと考えていたわけではありませんでしたが、結婚後、自分のやりたいことに向かって突き進む彼女に引っ張られて、自然にその流れができたという感じです。
潮田
理解のあるご主人で奥様は幸せですね。さて、私は仕事で離婚のご相談も多く受けているのですが、その大きな原因として「コミュニケーション不足」が挙げられます。たとえば、奥さんが「私は20年間ずっと辛抱してきました」と言われても、何をどのように辛抱してきたのか、を夫に伝えていないため、夫はずっと妻の苦痛を知らずに過ごしてきた、といったすれちがいが生じ、それが離婚へと向かわせてしまうのです。その点はいかがですか?よくお話されていますか?
裕之
私は、もともと自分からものを言うタイプではないので、もっぱら妻からの話を聞いています。
稟子
仕事での相談や悩みは、他人には言えませんが、夫にはいろいろと話しています。時々、彼に意見を求めて、なんとなくそれに納得はしないのだけれど、その通りに実行したら失敗してしまい、「ああ、それなら自分の考えに従えばよかったと思うことはありますけど(笑)
潮田
言いたいことを言わずにいるとそれはストレスとなって体の中に溜まりこんでしまいます。それを話すことで吐き出せば、ストレス解消となり、気分も一新します。その場は家庭が一番ですね。
また、自分の考えと異なる意見を聞くことは、自分の本音や決意をしっかりと把握するきっかけとなります。その意味では、意見を言ってくれるご主人はありがたいですね。
裕之
彼女と私は正反対ですが、それで互いを補え合える良さがあると感じます。その感覚は、若い頃では持ちにくかったと思いますね。
潮田
若い頃は、自分をまず受け入れてほしい、と相手に願うかもしれませんね。そして、相手も同じようにそう望んでいたら、互いを思いやることは不可能ですね。それが年齢を重ねると余裕 も増えて、自分とは違う相手へやさしいまなざしを向けることができるのでしょう。それが晩婚の良さでしょうか。

文・構成 潮田圭子
<告知>
 11/27(土)リンズ・ダンス・プラネット第1回発表会
 場所;新宿区立四谷区民ホール